生まれて1週間もせずに可能性股関節炎が発症し生まれた病院に逆戻りして手術を受けた。原因はわからない。幼少期は歩き方が少しおかしいくらいで、小1のときは走るのはクラスで1番速かった。成長すると次第に脚長差が出てきて、足を引き摺るようになった。もうあと何年動けるかわからない。中学生になり無理を承知でサッカー部に入った。中2の3学期、とうとう痛みが出た。病名は右股関節大転子高位。中3の1学期終了後入院。チームが兵庫県で優勝した日に手術を受けた。関西予選を突破して全国大会に出場を決めた翌日、チームメイトが見舞いに来てくれた。
兵庫県大会優勝メダル と 神戸市総体優勝メダル
5月9日 我が母校 神戸大学の医学部付属病院(吾輩は経済学部)に入院。
25歳で骨切りをしてからずっと通っているが、入院するのはあれ以来だ。
願、杖なし歩行 の願いと共に 母が千羽鶴を折ってくれた。
母はもう80。
親とはいつまでも子のことが心配なのだとつくづく思う。
術後のリハビリに全力を注ぐことを誓う。
スパルタ鬼コーチ(ホントは超優しい)山口先生のもとでリハビリ猛特訓開始☞
最初の目標は杖無しで綺麗に歩くこと
2番目は平泳ぎがでスイスイ泳げるようになること
アームレッグクロスレイズ
右膝(悪い方の足)を立てるときのバランスが難しい。
シングルカーフレイズ・・・左右各1分。最後の10秒で足が痙りそうになる!
ラテラルベンド・・・身体を支える中殿筋を鍛える。
ニートゥチェスト・・・伸ばしている方の足も宙に浮かせているところに注意! かなりキツい。
←平成28年6月3日 リハビリ開始時の歩行写真
まだまだ右足が躰を支える力が弱く、
ひょこたんひょこたん と歩いている。
これをどこまで治せるかだ。
平成28年8月30日→
2ヶ月の訓練で横のブレがかなりかなり少なくなった。
杖無し歩行まであと一息!
この日は吾輩にとって記念すべき日にとなった。
翌日、ワイフと六甲山高山植物園に行った。
2本の足で歩くことが
これ程楽しいと感じたことはない。
訓練はまだまだ続く↓
シングルヒップリフト
所謂お尻上げ。力を込めて尻を持ち上げるときによく足が痙る。
スタンディングスケーティング
子どもの頃から水泳は得意だった。吾輩の記憶では小学校内の昇級テストで最高の特2級を獲ったのは後藤君と川本さんと吾輩の3人だけだ。50秒以内のタイムトライアルで(距離は適当)後藤君49秒、川本さん50秒、吾輩が46秒だったのを覚えている。
だが得意なのはクロールだけだ。右足が外に開かないので平泳ぎが出来なかった。ほぼ全く。だから人工股関節置換術を受けたら平泳ぎに挑戦するという目標があった。平成28年11月26日、目標に挑戦した。
最初は全然ダメだった。平泳ぎの経験が無いので体が覚えていない。そこで30分の個人レッスンを3回申し込んで泳法を会得した。それから1年3ヶ月の間吾輩は泳ぎまくった。流石に水泳中の写真は無いが確かに泳いだ。セントラルウェルネスクラブのこのコースで。
平成30年8月13日(月) 富士山登頂
山口先生のリハビリに通いだして2年2ヶ月
吾輩は 日本一の山 富士山の頂上を極めた
歩けなかった吾輩が富士山に登れたのだ
リハビリの大切さを世間にアピールしたい
←写真をクリックすると
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メニューも2年前とは大きく変わった。もはやリハビリというよりアスリートのメニューのようだ。