野球・・・昔は野球好きだった

阪神タイガース応援団 神戸闘虎会 👈吾輩が創設した応援団です

吾輩は若い頃、大の野球好きだった。

祖父も親父も大の虎キチであったため物心ついた頃には立派な阪神ファンになっていた。大学1年の昭和58年9月に阪神タイガース応援団「「神戸闘虎会」を旗揚げする。60年日本一のときに私設応援団は急増するが、吾輩はその2年前から日本中応援に出向いていた。

 

 

 

 

 

 

👈写真の画素数を落としてあります

甲子園

 

福岡(平和台球場)遠征

     神戸闘虎会行きつけの「虎城」さんで忘年会

神宮遠征

      試合前 

忘年会            仙台(宮城県営球場)遠征 

 神戸闘虎会行きつけの「虎城」さんで忘年会        東京のメンバーや虎城のママさんらと仙台宮城県営球場遠征

その後、昭和60年は日本中応援に行った。その年阪神日本一で燃え尽きたのか、或いは「大学にも行かずいつまでもこんなことをしていてはいけない」との思いも出てきて、あまり気が向かなくなった。そして自分で野球チームを作りたくなった。草野球チーム弓ノ木プレジゼンツの誕生である。👇


草野球チーム 弓ノ木プレジデンツ

23歳のときに草野球チーム「弓ノ木プレジデンツ」を結成。監督を務める。

平成3年、神戸で最も古い草野球リーグ「神戸神興リーグ」に参加。C級8勝4敗。

翌平成4年、11勝1敗でC級優勝。B級昇格。

 

結婚1年目、まだまだ青春の28歳の秋だった。



 

 

チチローこと鈴木 宣之氏が、

息子イチローが日米通算4000本安打を達成した記念に自身で作成されたテレフォンカード。

超激レア 


将棋


実は吾輩、将棋2段の免状を持っている。囲碁を始めたのは小学2年だが、将棋は幼稚園のときに覚えていた。昔の男の子はよく将棋を指したもので、吾輩の小学校も例に漏れず盛んだった。実力は小学校では最強だった。中学生になって将棋に凝るヤツが出て来るまでは・・・。 写真は大人になってから獲ったアマ2段の免状である。


アメリカンフットボール

面白く感じるかどうかは人に依るが、アメリカンフットボールは最も激しく最も緻密な球技であると思う。

このスポーツの魅力に取り憑かれた吾輩はプロアマ問わず観戦しまくった。

 

👈史上最高のQBジョー・モンタナ

 

20年間、定期購読していたアメリカンフットボール専門誌

 TOUCHDOWN 👉

愛息が8歳でラグビーを始めたのを境にラグビーマガジンに変更した。



ラグビー