令和元年7月21日(日) 紫電改を訪ねて~鶉野飛行場

太平洋戦争末期、旧日本海軍が切り札として開発した戦闘機「紫電21型」、通称「紫電改」の実物大模型(全長9.37m、幅11.99m)が完成し、令和元年6月9日、兵庫県加西市鶉野町の鶉野飛行場跡で一般公開が始まった。公開は第1、3日曜の午前10時~午後3時ということなので、7月21日朝、吾輩はワイフと共に加西市に向かった。

 紫電改は、川西航空機(現・新明和工業)が約400機を製造。鶉野工場でも46機を組み立て、試験飛行も行った。模型は、同飛行場跡周辺の戦争遺跡を整備する市が総工費約1500万円をかけて制作したそうだ。当時の図面や写真を探し出すなど模型制作に協力した鶉野平和祈念の碑苑保存会理事の方が、「自動空戦フラップ」などについて解説されていた。「紫電改の登場は日本に一筋の光を与えたが、搭乗した多くの若者が戦死したことも知ってほしい」と話しておられた。

   遠くに紫電改が見える         多くの見学者が写真を撮っている    紫電改の精悍な姿を正面から1枚


 正面から1枚 人が多くて撮り辛い     喪服の婦人 御身内が搭乗員だったのかも     九九式二〇ミリ機関砲


2階の窓から1枚  自動空戦フラップが光る       紫電改の勇姿               吾輩と紫電改


記念品を購入

丸2冊(付録1冊)と手拭い2枚を購入

 

1,000円の寄付で、

紫電改の手拭い、紫電改の団扇、

鶉野飛行場のパンフレット、

加西ロマン飛行なる紙飛行機を貰った。

 

 


喫茶店を発見!

こんな辺鄙な所で商売が成り立つのだろうかと勝手に心配する。店主に聞けば「紫電改(公開)の日以外はガラガラです。」とのことだ。店内に入って直ぐカウンターと3つのテーブル席が見える。これだけでも普通の広さだが、奥に洋室・和室がありかなり広い。洋室に案内された吾輩は戦艦大和の模型を発見!

雰囲気の良さに気をよくして、吾輩達は昼食を摂ることにした。吾輩は「鶉野海軍カレー」を注文。味噌汁と(カレーに味噌汁!?)サラダ、小鉢が2つ、食後のコーヒーまで付いて900円。とても美味しく充分満足のいくお店だった。

機会があれば、すいている日にまた来てみたい。

   写真とは別に沢山部屋があった       部屋の奥に戦艦大和の模型が飾られてある   吾輩は鶉野海軍カレーを食す


鶉野飛行場資料館

紫電改公開の日だけ開いている。

加西市ではなく、民間が維持しているそうだ。

狭いが、戦時中の写真、新聞記事の写し、海軍機の模型等と共に特攻隊員の名簿が飾ってある。

年端もいかぬ17、8歳の少年の名前も載っている。

彼らは何を思い南の空に散って逝ったのだろうか。

 

また、大型テレビでは今回の紫電改実物大レプリカの作成を撮影した映像が流れており、スタッフの様々な苦労が映し出されていた。

 

入館料200円

  中は狭く10人がやっとだ  白鷺隊の資料と紫電改の模型    艦上攻撃機「天山」      艦上爆撃機「彗星」


編集後記

吾輩の父弘臣は神戸一中の一年生のときに学徒動員で神風特別攻撃隊に志願し予科練を受験。9月に来るように言われたが8月15日終戦を迎え生き残った。中学一年生が特攻隊に志願する時代。もし自分がその時代に生きていたらどうしただろうか。感謝と敬服の思いを胸に鶉野を後にした吾輩達であった。

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